ビレッジマンズストア
「名古屋には憧れがあったから、まずはそこで認められたい」(Vo.水野ギィ)
――まずはバンド結成時の話から聞かせてください。
「このバンドを始めたのは中学生。同級生みんなで始めました。僕は生まれてからビレッジマンズストアしかしたことないんですよ。バンド名はその時はなかったんですけど」

――それまで弾き語りでギターを弾いたりとかは?
「いえ、ぜんぜん。僕は違う同級生とお笑いコンビ組んでたんで(笑)。愛知県の小原村っていう岐阜との県境、すごく田舎なんで漠然とエンタテインメントに飢えていたというか」

――お笑いからバンドへと興味が変わっていったのは、どんなきっかけだったんですか?
「最初は何やっていいかわからなくて、ただ面白いことをしたいなっていう。街とは刺激の量が違うので、同級生皆が常に面白いことを探してるみたいな。そんななかで、アコースティックギターの弾き語りを何人かがやってたんですよ。当時の僕らには新しいものだったんで、皆がワーキャーワーキャー言って、僕もちょっと悔しくて羨ましいなと思ってたんですけど(笑)。そうこう言っているうちに、次は同じ奴がエレキギターを買ってきたんですよ。その時に革命が起こって。『音でかい!』と。それからロックを聴くようになりました。それまでは親が聴いていた昭和歌謡とかばっかり聴いていたんですよ。当時は外から楽器をやってる3人を『何が足りないのかな』って見ていて、ドラムだよなと。田舎なんで、ドラムやってる人は1人もいなかったんですよ。その後にみんなに内緒でドラムを買って。いやもうドキドキでした。隠れて練習をずっとしてて、ちょっといけるなって思った時に『バンド入れてもらえないか』と話かけて。お笑いの夢は諦めました(笑)」

――バンドって、好きなアーティストに憧れて始める人も多いですが、それよりはもっと漠然とした感じだったんですね。
「僕は違いましたね。どっちかと言ったら、ギターがあって、そこにバンド像みたいなものがあって、それをやりたいなってなっただけで。それが中学校2年生ぐらいの時。今から13年前くらい前ですかね」

――当初はどんな曲をやっていたんですか?
「ちょうど青春パンクみたいな流れが来ている時代で、テレビでも流れ始めて。バンドが市民権をグッと得たような時期だったと思うんですけど。みんながみんな聴くようになったんで、そういう音楽のほうが喜ぶんじゃないかと、結構いろいろやりましたね」

――練習は主に家で?
「家でやってました。そこが田舎のいいところで(笑)。僕の家、周り1キロ先くらいまで何もなかったりするんで、家族に怒られるくらいで(笑)。あと空き教室でもやってました。もともと面白いって思えるものを見つけたかっただけなんで、スタジオやライブハウスでやりたいなとかはあんまり思ってなくて。当時はバンドをやってるっていう感じはまだなくて、みんなで遊んでるだけでしたね。高校に入ってもやっぱり『友達とやってるよ』というような雰囲気はあって、あくまで自然な形で集まったメンバーだったんで、そのままちゃんとバンドになっていくまでが、大変だったのはありますね」

――高校はみんな同じ学校に入ったんですか?
「いえ。バラバラだったんですけど、バンドはそのままでやってて。高校になって、皆がいろんな学校に行くじゃないですか。そうするといろんなやつがバンドやってるんですよね。田舎なんで、世界でバンドをやってるのは自分たちぐらいに思ってたんですけど(笑)。一気に負けたくないなって思うようになりました。その後はちょっと本気にやろうかとなって、ちゃんとスタジオに入ってみたりするようになりましたね。バイクで30分くらいのとこに一番近いスタジオがあったんで、皆で行ってました」

――オリジナル曲はもう作り始めてました?
「ちょっとずつ僕が作り始めてました。あんまりバンドっぽくないものが形になるっていうか、いわゆるメロコアとかバンド的じゃないものが、段々それっぽい形になっていくのが楽しくて。山口百恵さんのコピーをやったり、レイ・パーカー・ジュニアの『ゴーストバスターズ』とか、ホントわけわからんことを。ただ楽しいだけ。『この曲カッコいい!やろう!』『この曲カッコいい!やろう!』の繰り返しで、こだわりなしでコピーしまくって。そのなかでカッコいいものがあると、その感じで曲作ってみようとオリジナルを作っていったりしましたね」

――なるほど。名古屋市内のバンドシーンと距離があるからこそですね(笑)。
「正直名古屋のバンド羨ましいですけどね(笑)。ただ当時は曲がどうのこうのっていうよりは、ライブやって周りの奴が目立つのが許せなくて、とにかくむちゃくちゃなことをしようみたいな感じでしたね。それが今やってることのルーツにもなってるのかなと、思うんですけど」

――初ライブは高校生の時ですか?
「高校1年生の最後のほうでしたね。会場は豊田の貸しスタジオみたいなところでやったんですけど。知り合いがいるなかでポンとやらせてもらったんですけど、最初は全然面白くなくて。周りの人のほうが自分たちより全然目立ってたし、悔しかったですよ。今までは自分たちしかいなかったから、演奏してるだけで気持ちよかったんですよ。それがいろんな人の前でやったら、こりゃ自分たち目立ってないぞと。それから折角やるんだったら、と思うようになりましたね」

――その頃には軽い遊びでなく、将来もバンドをというモードになっていました?
「ありましたね。実はそれに関しては、始めた時からずっとありましたね。何でかわかんないですけど、楽器始めた時からすでにメンバー全員、もうこれで生きていこうぜみたいな感じでした。今そういうやつおったら、めちゃ腹立ちますけど(笑)」

――田舎でバンド組んで、都会のバンドシーンに憧れてと、漫画みたいですね(笑)。
「そう言われてみれば、確かに一回漫画にしてみたい(笑)」

――高校を卒業しても、自然にバンドを続けることになったんですか?
「受験してるやつは、バンドやるためにがんばろうぜっていう感じだったし、あんまりブレてなかったかなと思いますけど。就職してとりあえずお金だけ貯めて、バンドをやりやすいようにしようって言って就職するやつもいたし。俺は、何も言われずにバンドやれるのは大学生だなと思って、大学に行ったという。それと大学に入るか、入るちょっと前に、初めて名古屋のライブハウスでライブしたんですよ」

――それはどんなきっかけで?
「CLUB UPSETだったんですけど、友だちがイベントをやるからと、一番最初に出たんですね。めちゃ怖かったです(笑)。見てる人も怖いし、ライブハウスのスタッフさんも怖いし(笑)。もうやりたくねえなって最初ちょっと思いましたね。すげえ悔しかったのを覚えてます。それまで仲間内で豊田の中でやってて、正解だと思っていたものが全然違った。いざ誰も知らないなかに立った時に、使えるものを一つも持ってなくて。ライブの進め方だったりMCだったり、何より最初に入った時の雰囲気でやられちゃってたというか」

――バンドにとって転機でもあったわけですね。
「調子乗って色々考えてたけど、そういうライブをしてからは何年経ってもいいから、もう名古屋でやることないでしょっていうぐらいまでのライブができなきゃ、多分その先に行けないねって話したんですよ。友達が東京行ったりするんですけど、僕らは『名古屋で何かやり残してる限りは絶対名古屋でやろうぜ』ってその時に思いました。それくらいから、バンドがやっと始まったのかなって思います」

――水野ギィさんは当初はドラムスだったという話ですが、その頃にはもうボーカルに?
「メンバーに聴かせる用のデモでは歌ってたし、曲作ってんのが俺だったし、そのままやればいいかって思って。なんかいける気がしたんですよね。ドラムやってるから、ボーカルやっても大丈夫だろうみたいな。他の担当をやってた人がボーカルになったっていう強み、他の立場も知ってるから色んな事を考えれるっていうのもあると思います」

――すると初ライブもスムーズでしたか?
「いや、最初に前に出た時に、なんで皆こっち見てんだと思いました(笑)。異常なぐらい怖がっちゃって、それで何故か立ち位置が一番隅になったんです。立ちボーカルなのに、上手でボーカルしてたんです、怖くて(笑)。ライブが始まって2曲目ぐらいから、早く終わらないかなって思ってたんですよ。その経験ある人、多分めっちゃいると思うんですけど。『もうやだ、早く終わってくれ』っていうのがずっと続いてて。何が恥ずかしかったのかは、今となったらわからないんですけど。それである時、自分が普通にいる時のテンションで何かぼそっと言ったんですよ。何を言ったか忘れちゃったんですけど、その時にお客さんの反応がちょっと違ったんですよ。それまではステージに上がりましたっていうだけでライブができると思っていたというか、自分を表現する場だってわかってなかったんですよね。もっと様式美的に作られたものだと思ってて。あくまで自分が、自分の言葉で言った時にライブが変わってきた。それまでは下手なこと言っちゃいかんなとか、一言言ったらその一言みんな覚えてるんだろうなとか。コケたら恥ずかしいなとか。今はコケたらおいしいとか思っちゃいますね(笑)」

――その頃には、ライブもかなりこなすようになっていたんですか?
「増えてました。その頃は、ひたすらライブをやれば有名になれると思ってて、名古屋のライブハウスに出まくろうって言って。月に名古屋だけで9本とか10本とか……。その頃にはだいぶやりたいことも、形にはなってなかったんですけど見えてきてて。お客さんがどうなってほしいなとかもちょっとずつ意識するようになって、原型は出来てきてたんじゃないかなって思いますね」

――同時代に、近い音楽性のバンドって多くなかったんじゃないですか?ビレッジマンズストアは結構カラッとしていますよね。
「バンドやってるなかで、そこはずっと意識してて。あんまりドロっとしたくないと。それこそ昔から本当に、自分たちがバンドやってくんだって疑わなかったですから。誰かが聴きづらい音楽っていうのはやっぱり嫌だったんです。ロックやってる人間としてどうなんだって思うかもしれないですけど、誰かが嫌悪感を抱くものがやっぱり嫌だった。そこは変わってないですね。常に自分が好きなもののなかから、最大にポップじゃない?っていうのを昔からいつも持ってくようにはしてて」

――それは出身もあるかもしれないですよね。情報量の多い都会のバンドは、どうしても難しいことをやりたがる印象があります。
「そうですね!それは思いますね。最初に名古屋に来た時に思いました。皆めちゃ難しいことやっとんなって。でも小難しく考えることは昔からしてなかったし、別にしなくてもいいかなとは思ってて」

――そこは割りきれているんですね。
「そうですね。俺たちの気持ちいいところが追及できればいいかなっていうふうには思ってます。バンドによって気持ちいいって違いますからね。俺たちが気持ちいいのは8ビートで、かっこいいメロディーがスコーンって抜けた時だと思ってるから」

――確かにそこは今も変わらないところですよね。
「ちょうど大学生の時が、自分の好きなものとかやりたいことっていうのが、段々段々はっきりしてきた時期で。会場限定のCDで、実はそのくらいの時期のものもまだ売ってるんですよ。さすがに遜色ないとまではいかないんですけど、今では出せない音もやっぱりある。何もわかんないまま『どうだこれ、自分がカッコいいと思うやつだ、すごいだろ』的なエネルギーを持ってるし。ちょっと挫けそうだってなった時に、僕いまだに聴きますもん(笑)。それぐらいの時期のやつ聴くと、変なエネルギーがあるから。昔から思ってたものが、段々段々大きくなってきた時期。だからこそ、今でも聴けるのかなと思います」

――その後、大学を卒業するわけですが、自然にバンドを続けていく流れに?
「僕は迷いは何にもなかったですね。他のメンバーも何にも言わなかったです。『どうすんの?就職すんの?』みたいな話も。いまだに聞いたことないんですよ、そういう話。逆に俺らが大学卒業した瞬間に、高校を卒業して就職していた奴が仕事を辞めたくらいです(笑)」

――いよいよ本格的なバンド活動に突入するわけですね。
「僕が名古屋に出たのは、それからちょっとしてからぐらいですかね。狭いコミュニティーの中に座ってきたのが怖くなってきて。俺だけが出てきて、あと2人はまだ村から車で来てます」

――ビレッジマンズストアは音楽的にも存在感的にも、いい意味でシーンのなかで異質感があると思うんですが、そういう活動スタンスにも理由があるかもしれませんでね。
「それは一番うれしいですね。自分たちしかいない、自分たちがいなかったらそれができないっていうバンドになりたいから。ちょっと浮世離れしちゃってんのかなとも思いますし。だから、悪い意味での異質感もあるのかなっていう感じもしますけど(笑)。何なのかなぁ。流行ってるものとか賑やかな雰囲気とかに、やっぱり憧れてはいるんですよね、たぶんメンバー全員。それをどうにかやろうとして、変な違和感が出てくるから、それがかっこ良く見えるといいですけどね。コンプレックスと、ちょっとケッって思っちゃってる部分もあるからこそでしょうけど」

――田舎で活動してきたからこその、本気でロックンロールで世の中を変えると信じている感じがありますね。
「いやー、思ってると思いますよ。町の人って逆にクールですもんね。すごく作戦立てるのも上手いし、それは羨ましいところではあるんですけど」

――最新アルバムの「刃の上を君と行く」は初の全国流通盤です。今まで話していただいたようなロックンロール感がありつつも、曲のテーマ的には、けっこう暗いものも多いですよね。
「暗い曲を明るく歌う人が好きなんですよ。もっと暗く感じるじゃないですか。そっちのほうが毒々しいですよね。もっと影が見えるというか。パッと聴いた感じは心地いいと言えば心地いいし。『これは暗い曲です、どうぞ』みたいなのはあんまり好きじゃなくて。雰囲気にギャップがあった方が、歌詞を聞けば聞くほど逆に入り込めるんじゃないかなと思って」

――バカバカしく明るい、とかそういうものは少ないですよね。
「僕が出来ないんです、そういうの。実は結構気にしてるところではあって。簡単にパパって作ったようなものが、出来ないんですよね。ちょっと影があるほうに憧れちゃいますね。暗いとまではいかないですけど、ちゃんと自分のことを歌おうって思った時に、もともと根が明るい人間じゃないから、自然に出てきたものがこうだったっていう感じなんですけど。昔はもうちょっと抽象的なものを好んでいたんですよ。それこそ深読みされるのが楽しいって思ってたんですね。でも俺、深読みされるような人間じゃないなと思って(笑)。あとは歌謡曲のちょっと回りくどい表現にも憧れてたんですけど、それを真似してても、上辺っぽいなあって思って。自分がいつも書いているような文章で、歌詞も書かないといけないなって。ひねり方とかも、人に借りたひねり方ってやっぱりあんま愛せないんですね」

――最後に名古屋のライブハウスシーンについてもうかがおうと思います。
「自分たちの環境を一番生かせる場所だとも思うし、場所的にも実際に中心じゃねぇかと。地図の真ん中にあるのって名古屋だし、情報の面で言っても、西の情報も東の情報ってすごくリアルに入ってくる。だからすごいいい場所にあると思うんですよ、名古屋って。逆に西にも東にも影響されちゃってるというか、ちょっとブレちゃってる感じもするんですけど。でももともと名古屋には、もっとドロっとした文化がいっぱいあるし。名古屋でやるとこないわっていうところまではやりたいと思ってます。僕たちのなかで、やっぱり名古屋には憧れがあったんですよ。だからそこで認められたいし、全員に認められたわけじゃないっていのはやっぱりすごく悔しいですよね。名古屋で全然できてないのに、他でやったら逃げたみたいでかっこ悪いじゃんと思ってますね」